雑誌記事抜粋
 
この記事は雑誌『RAINBOW』に掲載された
ものです。無断で転用することを禁じます。
 



 
TSUYOSHIインタビュー
 

R:去年(1997)、TSUYOSHIさんにレインボーパレードに参加していただいたのですが、
  本当に多くの人々が集まってすばらしい環境イベントになったと思うのですが、
  代々木公園でのああいった形で、イベントをやってみてどんな感想をお持ちですか。
 
T:まー僕としてみれば、代々木公園であーいった形で地球温暖化防止のイベントを、
  テクノの中のトランス系の人たちを交えてやるということで、とても新鮮だなというか、
  僕は「フリーチベット」とかもやっているし、そういうことに関してオーガナイズされる
  イベントというのは、参加できることが凄く嬉しいことでもあるし、
  代々木公園という野外でやるということで、意気込みもありましたね。
  実はそれまで博多にいたんだけど飛行機でほぼ寝てない状態で、
  パーティー会場に着いたのだけれども、すでに凄い熱気でみんなが一つの目的に
  向かってやっている姿を見て僕自信、祭男なんでそういった中に入ると、
  すぐに疲れも吹っ飛んで興奮状態になりましたね。(笑) 
  それで実際やってみて普通のパーティー以上に盛り上がってくれたんで、
  自分の中ではこういった地球の為にみたいなイベントに参加できて
  嬉しいなって思ってます。
 
R:その時、TSUYOSHIさんのプレイしていた機材は、全てソーラーシステムによって
  電気が起こされていたんですけれどもそのことに関してはどう思いますか。
 
T:理にかなっていたし、僕は常にそうであるべきだと思っていますよ。
  パレードの車も人力車でやったりしても面白かったよね。(笑)
  だけど本当に、これからもそういった形でやっていってほしいと思うな。
 
R:レイヴパーティーなどに多く行っている今の若者が、だんだんと地球環境的な
  意識を持ち始めていると思うのですが、そういった事についてはどう思いますか。
 
T:持っているとは思いますよ。
  パーティーが終わった時とかみんなごみ集めたりしてますしね。
  僕自身も小さい事ではあるんですけど、コンビニとかで何か物を
  買うじゃないですか、そうすると必ず店員さんはプラスチックバックに入れようと
  するんですよ。でも僕は大抵リフィードしますね。
  ただやはりいっぱい買い過ぎてしまって困難な時には使用してしまいますけどね。
  でも本当にプラスチックバックは必要以上に多く使われてますよね。
  例えばおせんべいの袋なんて一つの袋の中に、又さらに一つ一つにまで
  丁寧にパッキングされていたりしてね。(笑)
  でもどうにかならないんですかね。
 
(あとはRAINBOWを読んでね)
 




 
石  弘之(東京大学教授)インタビュー
 
 20世紀後半というのは私たちはすさまじいことをやり過ぎたんですね。
でも“止まる可能性”はまずないです。というのはアメリカ型生活というのがあって、
大きい家に住んで、大きな車に乗って、全てを電化して、夏は涼しく冬は暖かく、
というようにエネルギーを大量に投入した人口空間 の中で快適な生活を過ごすという
生活様式こそ善であるという文化が20世紀に世界に広まったんです。
しかしそれをやるためには膨大な資源がいります。そういう生活は世界の人口が
少ない時には成り立ったんだけれども、今みたいに60億にもなった時代においては
もう成り立たないんです。
 
 ところが我々はまだ何かいい生活があるんじゃないかと思っている。
ウィンドウズ 98が出てきた時にもう95は古臭くてこんなの使えないんだと、
“新しい物はいい物で古い物は悪い物”というような価値観で突っ走っていますね。
けれどもそれを許すような地球側からの環境資源の供給はもうないんです。
ですからそういう意味では21世紀に入ってまもなく、私は2020年前後だと思いますけど、
それまでに人間はかなり破局的なことを経験するんじゃないかと思います。
そしてその破局はもう始まっているんです。
 
  21世紀というのは地球の弱い部分から人口の圧力で環境資源が崩壊して社会、
および体制・国家が崩壊していくだろうと私は考えています。ところが我々にとって
環境の崩壊というのはいつも“遠いどこか、遠いいつか”の話なんですね。
しかし国際社会は十重二十重に入り組んでいますから、一つの所で起きた
環境をめぐる災害は必ず波及します。 そういうふうに見ると、いろんな所に
いろんな地球の限界が起こしたであろう現象が現れているし、
地球の弱い部分から破局は始まり、波及していくと思います。
それを受けてみんなが心の底から“これはいかん”と思うようになれば、
状況は少しは良くなるんじゃないでしょうか 。
 
(あとはRAINBOWを読んでね)
 



 
チェロキーインディアンの智恵が地球を救う

歩きながら狩りをする鷹(チェロキーインディアンのメディスンマン)との出会い

 「あなたたちは地球にいま、何が起こっているのか知っているのか」
「2本足の動物だけ(人間)が、ほかの生き物とまったく反対の方向に
向かおうとしている。この母なる地球で起こっていることを自覚しなければならない」
鷹は、まるで別の何ものかが彼の口を借りて話しているかのように話し始めました。
それは地球自身のことばのようにさえ感じられました。
 
 チェロキー族はインディアンの数ある部族の中でも最も勇敢で、心から平和を愛した
誇り高い部族としても知られています。チェロキーインディアンたち先住民族は
「大自然との共生を大切にし必要以上の狩りや採取はしない」という考え方を
根本に持っています。彼らは大自然の中に生まれ育ち、大平原に生きる智恵を
学んできました。そしてそこから生まれたのが、生活のすべての基本となっている
「聖なる輪の教え」と呼ばれるものです。
 
 鷹はいいます。「輪には、はじまりもなく終わりもない。すべての生命は輪のように
つながりあって、支えあいながら生きている。人間も人間だけでは生きていくことは
できない。チェロキーインディアンの精神も、すべては聖なる輪の中にある。
そう、私たちは生きるために多くの生命を感謝していただくが、やがて私たちも
死を迎え、土に戻っていく日が来る。生命は大きなひとつの輪の中に生き続け、
生き物はみんな輪の中にいることを知っているのだ」
 
 「この大地は地球のもの。人間はつかの間の間、地球から借りているだけなのだ。
もしも子供たちに財産や、土地を残したとしても、それは子供たちがほんとうに
望むものなのだろうか。この美しい母なる地球を残すことのほうが
大事なことではないか」
 
 鷹の話を聞くうちに、むしろ私たちのこれまでの価値観のほうが
いびつなのではないかと思うようになりました。私たちはひとつでも多くの
「(私の)もの」 を増やすことばかりを考え、いつの間にか物質社会の所有という
概念にがんじがらめになっていることに…。
 
 「もしも多くの人たちが、世界の終わりだというぐらいの何か重大な出来事が
起こったとしても、それは、ある価値観から新しい別の価値観への変容に
ほかならない。もしも、『母なる地球』を敬う気持ちや、大自然と調和
しながら生きていくという姿勢があれば、何も恐れることはない。
物質的な災いから自分の身を守りたいならば、その方法はたったひとつしかない。
先住民族たちの生き方や、考え方を理解することだ。頭でなく心で。
そう、母なる地球を慈しみ、すべての生き物を敬う気持ちを想い出すことだ」
 
(あとはRAINBOWを読んでね)
 




 
地球温暖化
 
地球温度2℃上昇が大問題の地球温暖化
 
 世界最先端の気象学者グループ(IPCC)の報告によると、今後100年間で、
地球上の温度が2℃(最大で3.5℃)上昇するだろうと予測されています。実は、
この2℃の上昇が問題です。
 
 もし、私たちが、このまま何もせずに、地球上の温度が2℃上昇したとしたら!
いったいどうなるのでしょう?
 
 水の蒸発や風の起こり方などの気候の変化がおこります。それによって、
雨の降る量が変わったり、今まで降らない地域に雨が降ったり、逆に雨が降る場所に
雨が降らなかったりします。季節変化も変わってくるでしょう。
 
 そうなると、急激な変化についていけない生き物たちは死に絶えてしまいます。
 
 例えば、日本ではブナ林の40%が消失し、涼しい所に育つ樹木の生きられる地域が
激減します。農作物も育たなくなる地域が出てくるでしょう。アジアや米国の穀倉地帯に
大打撃が予想されています。日本の食料自給率は、今、30%と言われていますよね。
特に米国からの小麦粉やとうもろこし(飼料用も含む)は100%に近いですから、
日本では、普通のパン屋さんにパンが並ばなくなる日も、そう遠くはないかも
しれません。大豆製品も同様です。
 
 さらに、温度が高い地域で繁殖する病原菌が活発化し、例えばマラリアの
流行危険地域は西日本一帯や、ヒートアイランドの東京も含まれてくるでしょう。
 
知れば知るほど恐い地球温暖化
 
 最も大きな問題は、海面上昇かも知れません。問題になるのは、南極の氷が
解けた時にどうなるかです。南極は、北極と違って大陸の上に巨大な氷が
乗っかっています。これが溶け出すと、海面に氷の分が上乗せされる事になるのです。
IPCCによると地球温暖化により、海面は来世紀末までに最大で約1m上昇します。
海面が1m上昇したら、河口近くに数多い世界の都市は浸水の危機にみまわれ、
モルジブなど低地の島国は国土の80%が水没してしまうという、大変な事になります。
 
 日本でも90%の砂丘が消失し(30cmの上昇でも60%近く消失)耕地面積も
海水の浸出によって激減しますので、農作物への被害は益々大きくなります。
また、海水が地下水に入り込む事によって、水不足も予想されるでしょう。
 
 先ほどの1mの海面上昇予測は南極の氷が溶けない事を前提としています。
しかし、国立環境研究所の西岡先生は、次のように述べています。
「南極大陸には、氷が張り出しているところがあって、その氷の棚が落ちると
5〜10mの海面上昇が予測されます。まだ、そこまでいく程には、温度が上がらないと
見て、南極の氷は、今後100年間は溶けないだろうと言う科学者もいます。
ところが実際には、淡路島の約5倍の氷が溶け始めていると報告している専門家も
いるのです」。
 
 さらに恐いのは(先日NHKスペシャルの中でも詳しく紹介されていましたが)、
このままのペースで地球温暖化が進めば、ここ1万年の間地球の気候を
安定させていた海底の海流が来世紀には止まり、数十万年にもわたった
大気候変動の時代に地球が再び戻る可能性があるということです
(文明の繁栄に気候の安定が必要なことは言うまでもありません)。
 
まだ間に合うかもしれない みんなでライフスタイルを変えよう!
 
 それでは、私たちは、どうしたらよいでしょうか? こんな話を聞いたら、誰でも、
明日から生きるのがつらくなるかもしれません。でも、まだあきらめるのは早いのです。
ノアの箱舟ならぬ、助け舟がありました。海水が上昇したら、船をだすって?
そんな話ではありませんが……。
 
 実は、地球温暖化という問題は、現代の私たちのライフスタイルが生み出した
問題と言えるのです。ですから、今、自分たちの生活の仕方を変えるだけで、
問題が解決され得るのです。
 
 詳しく、問題解決の道を探ってみましょう。
 
 地球を暖めている原因になっているのは、温室効果ガスです。最も効果を
発揮しているのは、二酸化炭素、その他、メタンやフロンなどもあります。
これらのガスは、太陽熱を吸収することによって、地球から温度を逃がさない
働きをしています。産業革命の前は、これらのガスは、よいパランスで
安定していました。ところが、石炭や石油をたくさん燃やす事によって、
二酸化炭素の量がどんどん増えてきてしまったのです。それと、まったく、
比例するかのように地球の温度も急速に上がってしまいました。
 
 私たちが、石油などをどんどん燃やし、たくさんの品物を作り、売ったり、
買ったりすると、二酸化炭素が増えて、どんどん温度が上昇します。
車の排気ガスも、毎日見ているテレビ、遅くまでついている電気も同じです。
自動販売機1台分では、何と、家庭1世帯全体で消費する1日分に相当する
電気を消費します。これで、原子力発電所1基分に相当するエネルギーを
消費してしまいます。
 
 一刻も早く私たちの生活を変えなければなりません。
 
 西岡先生が、ライフ・サイクル・アナリシス(生活形態分析)という見方で
二酸化炭素の排出量を考える見方を教えてくれました。これは、ある物を消費すると、
その製造から廃棄の間に、どれだけのエネルギーを使い、温室効果ガスを出し、
環境に影響を与えるかを計算する手法だそうです。
 
 西岡先生は話しています。「例えば、ハンバーグを食べるとします。
米国の牧場で育てられた牛だとしましょう。まず、牛の餌になる植物の肥料に
大きなエネルギーがかかります。牛の肉の加工、日本に持ってくる間での運搬に
膨大なエネルギー、日本での輸送、保存、包装、そして、それがごみとなり、
またエネルギーがかかります。それに比べて、トマトを自分の庭先に作れば、
もぎたてを食べればよいのですから、冷蔵の必要もいらないし、生ごみは
有機物に還元して土に戻していけば、ごみにもなりません。
これは、大変大きな違いです。このように、環境問題はつながりで、
ものを考える必要があります」。
 
 体の健康を考えても、食べ物は、その季節のもので、できるだけその土地に
近いところで生産されたものを食べるとよい、といわれています。遠い国から
食べ物を輸入するために、エネルギーをたくさん消費するばかりか、
長期輸送のため、保存に虫がわいたり腐らないように、発ガン性のある殺虫剤や、
防カビ剤をたくさんふりかけているのです。そんなものを食べつづけていたら、
体の免疫力が低下し、アトピーの原因にもなるのです。
 
 いつの間にか、私たちは、大変贅沢な暮らしをするようになってしまいましたね。
身の周りや生活の仕方を見直してみれば、どうしても必要、どうしても生きるために
必要というものは、いくつあるでしょう? かえって、余計な物がたくさんあって、
時間の無駄をしているのでは? ごみにして環境を破壊し、ダイオキシンの
元凶をつくっているのでは? 
 
 実は、私たちの暮らしを変えるのは、そんなに難しい事ではないのです。
まず、あなたもグリーンコンシューマーになるところから始めてみましょう!
ヨーロッパなどでは、グリーンコンシューマーが人口の半分をもう超えています。
 
 グリーンコンシューマーになるのは簡単です。次の4つのRがポイントです。
 
4R
1.Refuse(リフューズ)断わる
 余計な物を買わない
2.Reduce(リデュース)減らす
 モノを増やさない
3.Reuse(リユース)何度も使う
 びんなど洗って使える物を何度も使う
4.Recycle(リサイクル)再利用する
 紙などもう一度資源になる物は必ず資源回収に出す
 再生紙など再利用されている製品を買う
 
 本物の景気回復は大量消費、大量廃棄を再び拡大する事にはなく、
資源を循環させる循環型社会づくりにチャレンジする事にあります。
日本人が全員グリーンコンシューマーになったら、
地球温暖化は、きっと解決できるでしょう。
 
 これからの贅沢は、地球も私たちの体や心も健康である事です。
自分の体や心が健康になると、本来もっていた個性、能力が
引き出されてきます。そして、人生を最も充実に生きる事ができるでしょう。
 
(あとはRAINBOWを読んでね) 
 
Cold Cutインタビュー
 
 cold cutすなわちニンジャ・チューンの首領マット・ブラックとジョナサン・モアの
二人は地球の現状をどのようにとらえているのか。
つねにオリジナリティーを追求して新しい実験的な試みで私たちに驚きと興奮を
提供してくれる彼らの思いに迫る。

R:『Timber』や『Natural Rythm』では自然界の映像や音などを使っていますが
    どういう思いからですか。
マット:僕らの作品には「実験」という要素があってそれにともなってその中身が
  とても重要んなんだ。その中身といえば人間がこの地球に住んでるってこと
  なんだ。僕らが命をもった動物なのは、地球が命をもっているからなんだ。
 
  地球が死んだら僕らも死ぬ。
 
  だから、森林伐採や生物の種がどんどん死滅していることがとても気になる
  んだ。そういう内容を伝えるためにいろいろ実験をしているんだ。
   僕たちは例えば日本には飛行機で来てるし、コンピューターを大量に
  使っているし、紙もつかっている。そういうことでいったら、僕らは皆加害者
  なんだ。ただ今よりは少しましになろうって自分に言いきかせている。一人
  独りが少しづつ暮らし方を良くしていけばきっと大きな変化が現われると
  思うんだ。
   自然の美しさは本当に大切だと思うよ。自然界には最高の技術が詰まって
  いる。そこは直感の源なんだ。人間が生んだ技術も自然の中にあるんだ。

R:ここ数年クラブミュージックを演奏してきて若い人たちの反応はどうですか。
ジョナサン:僕たちがやっているのはオーディオとビジュアルのコンビネーション
  だけど今までなかったものだから皆興奮しているよ。
  『Timber』や『Natural Rythm』は皆大いに盛り上がってくれる。作品の中身が
  皆に訴えているんだ。自然の美しい映像とこの惑星をわれわれが破壊して
  いるというメッセージが強烈で皆少しづつ気付きはじめているんだ。

R:では海外での反応も強烈で素早い?
ジョナサン:その通り。
  それは技術がすごいというよりも中身がうけているってことなんだよ。
  昔は小さなクラブでプレイして人も少なかった。でも僕らは続けて今では
  大きい会場で大勢の人を立たせることができるようになった。でも僕らは
  大きい組織化されたイベントには実は疑いをもっているんだ。音楽そのものを
  見失いがちになって、ビジネスになっちゃうからね。だから僕らは何か大きい
  イベントに出る時は、必ず小さいイベントにも出ることにしてるんだ。
  例えばグラストン・ベリーではテントで1万2000人の前でプレイしたけど、
  次の日にはグリーン・ピース(NGO団体)のステージに上がって自転車と
  ソーラーパワーでプレイしたよ。ノーギャラでね。
  バランスをとろうとしているんだ。

R:(ジョナサンに)森林伐採をとても気にしていると聞きましたが。
ジョナサン:『Timber』の中ではグリーン・ピースがもってる映像が使われて
  いるんだ。僕らはもっともっと問題に迫ろうと思ったんだよ。あれだけ
  広範囲に渡って土地が奪われるのは恐ろしいことだよ。森には無限の
  資源が詰まってる。あそこは僕たちの未来なんだ。
  なのに、どうして人間があんなことをできるのか。ビジネスというやつが
  森を破壊してしまうのか。理解に苦しむよ。
マット:エコトリップというサイケなダンスカルチャーグループがあって、
  彼らの言葉を引用させてもらうとね、「地球は死にかけている」ではなく、
  「地球は殺されかけている」というんだ。僕ら一人ひとりがこのことの
  責任を負っているんだ。

R:未来というものについてどんな考えをもっていますか。
マット:いろいろな方法があるけどバイオテクノロジーなどとても有効だよ。
  今後新しいエネルギーが次々生まれてくるよ。太陽、風、海、地熱の
  エネルギーなどたくさんある。今政府が原子力に大金をつぎこむかわりに、
  代替エネルギーの研究費に使えば、きっとすぐ結果が出てくるだろう。
   自然界では僕たち自身がエネルギーなんだ。例えば、電気ウナギが
  いるだろう。あれは自然界の発電気だよ。半分冗談みたいな話だけど、
  タンクに電気ウナギを何匹も放すんだ。そして何匹かが下に降りてくる。
  藻を食べる。藻は太陽によって繁殖する。そのウナギから僕らは
  電気をもらうようにする。つまりソーラーパワーによる電気ウナギ発電が
  可能ってわけ。でもウナギにとっては嬉しくないかもね。(笑)
   電池の技術も発達してきてるけどリチウムやニッケルなど金属を
  使ってるから環境を汚す。でもバイオテクノロジーはどんどん成長して
  いるよ。例えば大麻は麻薬に使われる物だけど、成長が早くて100年前は
  何にでも使われていたんだ。ロープにも紙にも薬にもなった。
  早く成長するという点もいいだろう。この生物バイオマス(エネルギー源と
  して利用できる生物資源のこと)をワイン造りにも使えるし、アルコールは
  燃料登して使える。つまり、代替エネルギーとなって石油を使う必要が
  なくなる。
   もう一つのアイディアはアメリカのものなんだ。密閉されたガラスの
  ボールのなかに空気、土、海水そして小エビを入れるんだ。それを
  太陽光りにあてれば、光りは藻を繁殖させ、小エビがその藻を食べ、
  卵を産む。という図ができる。それは保護されたシステムだ。
  すべてがこの中で循環してこの中で15年から20年この生態系がもつんだよ。
  小エビ言ったけど光りを出すエビもいるんだ。動物の中には発光する
  ものがいるんだ。だから、僕たちはこのシステムから光りをいくらでも
  とることができるんだ。
   ただバイオテクノロジーは敬意をもって使われなくてはだめだ。
  自然破壊的に使ってはだめだ。それが理解できるなら人間は成長できる。
  できなきゃ死ぬだろう。

R:ということは、未来の可能性を信じているということですか。
マット:そうだね。僕たちは可能性を信じているよ。僕たちは今、進化の
  階段を登っているところなんだ。人間は意識をもっている。
  その意識は進化させることができると思う。それができなきゃ、階段を
  転げ落ちていくんだ。すべてが急速に進歩しているけど、それは永遠に
  続くわけないよ。まもなく大きな変化がやってくるだろう。もう近いと思っているよ。
 
(あとはRAINBOWを読んでね) 




 
地球からのメッセージを漫画に残した愛華ちゃん
 
 12年というあまりにも短い生涯を駆け抜けるように去ってしまった
坪田愛華(あいか)ちゃんのこと、知ってますか?彼女が残した
「地球の秘密」という漫画は、地球に住む私たちに「私に代って地球を
大切にしてネ」と痛切に訴えかけているようです。愛華ちゃんのメッセージは、
読む人に深い感動を与え、大きな反響をよびました。

 『これは環境についてなんだけれど、私一人ぐらいという考えはやめようと
思います。それを世界中の人がすれば、一発で地球はだめになると思います。
みんなで協力しあって、美しい地球ができればいいです。』
---「地球の秘密」この本を作ってより

 地球の環境の危機を1冊の漫画「地球の秘密」としてまとめた坪田愛華ちゃんは、
その漫画を描き上げた翌日にこの世を去ってしまいました。その内容は、
とても小学校6年生の作品とは思えないほど素晴らしく、多くの人が感動を
覚えました。世界中の言葉に翻訳された「地球の秘密」は、今でも、読む人に
地球環境の大切さと地球の声を訴え続けています。

「地球の秘密」に登場するアースくんは地球の分身
「地球の秘密」に登場するのは、読書好きの小学校6年生の留美ちゃんと
好奇心いっぱいの友人の英一くん。留美ちゃんが図書館で借りた本から
突然出てきたアースくんに連れられて、留美ちゃんと栄一くんは、地球の歴史や
自然界のバランスをはじめ、海の汚染、酸性雨、オゾン層や熱帯雨林の破壊など
さまざな環境問題について勉強していきます。環境問題の現状を知り、関心を
持ち始めた2人は「なんとかしなきゃ!」と自分たちの生活のなかで、
できることを考えて行動するというストーリー。

愛華ちゃんが、「地球の秘密」を描き上げるまで
1991年、当時、島根県斐川(ひかわ)町立西野小学校6年生だった愛華ちゃんは、
学校での環境学習の課題を、「自然破壊とその対策について低学年向けの
本を作ろう」と得意な漫画で表現することにしました。ふだんは、素晴らしい
スピードで絵を描いていた愛華ちゃんでしたが、この課題にはたくさんの時間が
かかったそうです。10月に描き始めてからおよそ2ヵ月がかりで、ちょうど
明日から冬休みという12月25日にその大作「地球の秘密」を描き上げました。
けれども、その数時間後に、愛華ちゃんは「頭が痛い」とお母さんにうったえて
入院。脳内出血で翌日の朝、そのあまりにも短い生涯を閉じました。
愛華ちゃんの遺作となった「地球の秘密」は、「みなさんの心の中に愛華が
生き続けてくれれば」というご両親の思いから、50部を本にして学校の
同級生や先生に贈られました。その感動は、多くの人に伝わっていき、
「地球の秘密」は英訳もされ、5月にニューヨーク国連本部で開かれた
「国連世界子供環境会議」において3,000名の参加者に配られました。

世界へ広がり続けるメッセージ
その後も、「地球の秘密」は中国語、アラビア語、ハングル語など世界中の
言葉に訳され、今なお、本を手にする人は増え続けています。すでに、
世界中で40万部が配られ、1993年6月、愛華ちゃんは、世界で環境問題に
大きな貢献をした人に贈られる「国連グローバル500賞」を子供として初めて
受賞することになったのです。「12歳で亡くなった日本の少女が残した本は、
いま、地球環境を守る子供達の教科書になっている」---受賞の席で、
愛華ちゃんはそう紹介されました。

いま、たくさんの人たちが、環境について考え、少しづつ行動するように
なってきました。愛華ちゃんの本を読んで、元気づけられている人も
少なくないはずです。愛華ちゃんはきっとどこかで、世界のみんなが
美しい地球をそのままに守れるよう見守ってくれていると思います。

 坪田愛華ちゃんの書籍購入に関するお問い合わせなどは
地球環境平和財団「地球の秘密」AIKA委員会
〒108 東京港区三田2丁目7番7号 芳和三田綱坂ビル401
TEL 03-5442-3161
FAX 03-5442-3431
http://www.wnn.or.jp/wnn-n/magazine/100/index.html
 
劇団 俳協
 1995年6月、劇団俳協によるミュージカル
 「地球の秘密・坪田愛華物語」の全国公演も始まりました。

『缶を捨てるのは「過去」、拾うのは「未来」。 缶を捨てる軽さと、缶を拾う重さを考えよう。』
---愛華

「愛華、光の中へ。」坪田愛華・揚子著、朝日出版社刊




 
「環境先進国デンマークの挑戦」

ふじさわひろみ

1.環境にやさしいスーパー

 私たちは生活の中で、誰もが多くのものを買い、消費しています。
 スーパーやデパートに買い物に行く時、価格や品質だけでなく、ちょっと発想を転換して、
「ごみ眼鏡」をかけてみましょう。
商品を見ながら、それが「ごみ」になったときを、想像するのです。
ずらりと並んだ清涼飲料水のペットボトル。魚や肉をのせたトレイ。野菜のラップ。
これらはすべて、すぐに使い捨てられて、ごみ箱に直行します。
何て、もったいない。

私は、先日、世界でも有数の環境先進国として知られる、北欧の小国デンマークに
滞在しました。アンデルセンの童話で知られるこの国は、2000年までにすべての
廃棄物の50%以上をリサイクルする計画をもっています。
エネルギーに関しても、原発の導入を国民が拒否し、そのかわりに風力発電や、
バイオマス発電(家畜の屎尿や生ごみ、食糧工場からの廃棄物などを利用して
発電する)を、世界にさきがけ、積極的に研究してきた歴史があります。
この人口500万のデンマークでは、どのような環境対策がとられているのでしょうか。
企業や消費者の意識などもふくめ、デンマークの環境問題への取り組みを、紹介したいと思います。

まず、首都コペンハーゲンを中心に、約60店舗を構える、スーパーマーケット「イヤマ」を訪れました。
このスーパーは、デンマークでも早くから環境問題に取り組み、デンマークで一番最初に
塩化ビニールの使用を中止したことで知られています。
現在でも、近くの農家に2年間の所得の補償を行って、有機農業へのきりかえをすすめるなど、
積極的な取り組みをすすめています。(写真1)
店内を見渡すと、低農薬のエコマークつきの野菜や牛乳、パン(写真2)、卵などが、
たくさん並んでいました。
卵は、プラスティックではなく、再生紙を使用した容器に入れられ、包装はすべて、
徹底的に簡素化されていました。

中でも印象的なのは、再生紙から作られた、無漂白のままのトイレットペーパーです。
色は薄い茶色で、日本ではあまり見かけないものです。これが、大量に積まれており、
白いものよりもよく売れているようでした。
デンマークでは、ここ数年の間に、消費者のグリーンコンシューマー度が急上昇し、
ほとんどの消費者が「10%から25%までならば、価格が高くても、環境にやさしい製品を
購入する」と答えていると聞きました。
滞在中、いろいろな人に「何故数年のうちに、急に意識が高くなったのか」インタビューをしてみました。
デンマーク在住の、ステファン鈴木さんは、「デンマークでは、子供の頃から、社会的な問題に対し、
自分の意見をきちんと持つよう、教育されています。人がやっていなくても、だから自分がやる、
のがデンマーク流です。そこが、日本との違いでないですか」
と話してくれました。

先進国の生活が、人類の生存さえあやうくする地球環境問題と、密接に関わっていることを知り、
デンマークでは多くの人たちが、危機意識を持ち始め、同時に、自分に何ができるのかという、
フラストレーションも感じていたそうです。
そこへ、数年前、大手のスーパーがいっせいにエコ商品を扱い始め、国民が飛びついた、
というのが現状のようでした。
それ以来、エコ商品の売れ行きは延び、価格も以前より安くなってきているそうです。

2.国をあげて、環境対策

デンマークでは、環境のことをまったく考えずに生活するのは不可能なほど、政府や
マスメディアによるPRが盛んです。
エネルギー環境省(環境問題は、結局エネルギー問題という考えから、1994年に
エネルギー庁と環境庁が合併し、最大の省ができた)の大臣が、テレビで国民に環境問題の
深刻さを訴え、協力を呼びかける。新聞や雑誌が報道する。デンマークではまさに、国をあげて
環境問題に取り組んでいるのです。
しかし、デンマークが、世界の中でも一、二を争う「環境の優等生」になったのは、ここ数十年の
ことです。ほんの二十年前までは、多くの国と同じように、経済を優先に物事を考えていたと聞きました。
企業が、環境保全のためのコストを支払わず、消費者は環境に与える影響よりも、価格や
利便性を重視して商品を選ぶ、そんな時代が1970年代前半まで続いていたそうです。
企業が、有害廃棄物を不法に投棄して、地下水が汚染されたこともありました。こうした状況の中で、
1973年に環境庁が設立され、各種の法律の制定が行われました。
一般廃棄物(いわゆる普通のごみ)に関しては、1978年に容器の使用を減らし、ガラスの
再使用を促進することを目的として、「紙および飲料物容器の再資源化並びに廃棄物の減量に
関する法律」が作られ、飲料容器のデポジットなどが定められました。
さらに、1981年に制定された「ビールおよび清涼飲料の容器に関する省令」によって、国産の
ビールやワイン、清涼飲料水は、金属の缶を使用することを禁止し、びんとペットボトルの再使用
のみを認めたのです。
このように、「リサイクルできないもの、リサイクルの難しいものは、できるだけ作らない、使わない」
のが、デンマークの環境政策の基本なのです。

3.環境情報はオープン

デンマークには、14の県と、275の市(コミューン)があり、廃棄物の回収、地域の環境政策などは、
コミューンにまかせられています。
「行政はサービスだから、ぞれぞれの地域にあったものが必要であり、画一化することはできない」
というのが、デンマーク的な考え方なのです。
デンマーク滞在中、私は環境政策に関する資料を集めるために、コペンハーゲン市役所、幾つかの
自治体のインフォメーションセンターなどを訪れましたが、その親切さには、大いに驚かされました。
デンマークの行政スタッフは、外国人である私のためにも、懸命に資料を探したり、コピーをとったり
してくれるのです。
また、インフォメーションセンターには、ごみの分別の仕方、市のリサイクルの目標率とその達成率、
コンポスト容器の助成など、さまざまな資料がそろっており、電話での問い合わせにも応じているとの
ことでした。また首都コペンハーゲンのインフォメーションセンターでは、コペンハーゲン市が作成した
「Cleaner Greener Supply Lines」(より環境にやさしい製品ガイド)が、目立つところに沢山つまれて
いるのが、印象的でした。(写真3)

環境情報のPRは、行政だけでなく、企業によっても盛んに行われています。
私は、ユトランド半島の中心的な大都市であるオーデンセ(アンデルセンの生まれた町としても有名)
の駅に、「エネルギーと環境センター」があるのを見つけ、飛び入りでインタビューをしてみました。(写真4)
そこには、環境にやさしい製品のパンフレットや、省エネ電球などの展示(写真5)が数多く並んでおり、
沢山の人が熱心に資料を探していました。
私はてっきり、これも行政のインフォメーションセンターの一つかと思ったのですが、聞いてみると完全に
「プライベートで運営している」と言うのです。
実はこの「エネルギーと環境センター」は、デンマークの10大都市に、2年前に設立されたのですが、
その母体となっているのは民間の企業なのです。
この企業は、環境問題に力を入れている多くの企業から、それぞれの企業の環境商品に関する広報を
代行するという形でお金を出してもらい、このセンターの運営を行っているそうです。
環境に関する企業の情報が一個所に集まれば、消費者は、情報を入手しやすくなります。
(ちなみにこのセンターは、無料で利用できます)また中小企業などは、広告宣伝を大企業の製品と
ならべて行えるという点において、大変大きなメリットがあるのです。

4.自転車の国「デンマーク」

最後にデンマークでは、自転車が非常によく利用されていることをつけ加えておきましょう。
国鉄には、自転車をのせる車両があって、自分の自転車で国中を移動することができます。
また、デンマークのすべての道には、自転車占用道路がもうけられているので、サイクリングはとても快適です。
私はデンマーク滞在中に、自分の自転車で旅行する若者を、たくさん見かけました。
彼らは皆背中のリュックサックに、自分の水筒を持参しており、喉が渇くとそこから水を飲みます。
食費を節約するため、パンにチーズをはさんだものを持ち歩き、おなかがすけば、それをかじっているようでした。
デンマークを旅してみると、ちょっと歩けば自動販売機が立ち並び、夜遅くまでコンビニがあいている
日本という国が、いかに無駄な資源とエネルギーを使っているかが良く分かります。
難しいことではなく、結局は一人一人のごみを減らす、ちょっとした気遣いで、大きな変化が起こってくるのです。
できるだけ自転車を利用する、環境によい洗剤やシャンプーを選ぶ、(写真7)有機野菜に目を向ける(写真8)、
無駄な包装を省くため、はかり売りをしているスーパーを探す(写真9)など、できることは沢山あります。
デンマークでは、「子供たちの世代につけを残さない」「水、土、空気をこれ以上汚さない」ということを、
国民が一人一人が真剣に考えた結果、世界からも賞賛される環境先進国として歩き出しました。
しかし環境問題は、一国だけが頑張っても、到底解決はできません。デンマークは、人口一億2千万人の
経済大国日本が、デンマークとならぶ環境先進国となる日を、待っています。




 
ドラムンベースとシャーマニズム

 「ドラムンベースは音楽の1ジャンルではない。僕たちの“生き方”そのものなんだ」
とドラムンベースのアーティストたちが話をしているのを耳にすることがよくある。
 ロックは“耳”で聴く音楽、ソウルは“心”で聴く音楽、テクノは“細胞”で聴く音楽、
そして、ドラムンベースは“D.N.A.(遺伝子)”で聴く音楽だとよく言われる。
 ドラムンベースの“生き方”とはどういう“生き方”なのか。D.N.A.で聴く“生き方”
とはどういう“生き方”なのか。

 全てはスペインにあるヨーロッパのメジャーなリゾート地「イビサ島」から始まった。
時代は1987年までさかのぼる。その年の9月、ある4人のロンドンのDJはこの島のクラブ
のDJたちのまわしている曲に唖然とする。それは今まで彼らの全く聴いたことのない、と
てもエクスペリエンスでダンサブルな曲だった。当時の最先端をいっていたその4人のDJ
たちがロンドンでまわしていた曲といえば、HIP HOP に、FUNK、HOUSE 、そして多少のNE
W WAVE系の曲だった。このロンドンのDJたちを唖然とさせた曲については「RAVE TRAVELL
ER/清野栄一著(太田出版)」の中に、インターネットで流れているBUS STOP INTERNET
RADIO というサイトの中で興味深いインタビューが載っていたという文章があるので、そ
れを一例として参考にしたい。60年代のフラワームーブメントの終焉間近、1969年にジェ
ファーソン・エアプレインなどとツアーを行なっていたゴア・ギルというDJが世界中を放
浪の末、インドのゴア地方にたどりついた。ゴア地方には世界中からたくさんのヒッピー
アフターたちが集まってきた。70年代を終え、80年代に入ると、ゴア・ギルらはヨーロッ
パのポスト・パンクのNEW WAVEやエレクトロ(YMO やクラフトワークといった初期のテク
ノ)、実験的なダンスミュージックのテープを手に入れ、踊りやすいように曲を作りかえ
ていった。デペッシュモードやニューオーダーなどの曲の歌の部分をカットしたり、どこ
か2つ、3つのパートを何度も繰り返したりして、自分たちが踊りたいような曲を作った
りしていた。そんなオリジナルの曲がゴア地方のパーティでは定番だった。ゴア地方によ
く訪れていたのが、「イビサ島」のDJたちだった。そこで手に入れた曲はゴア地方同様、
「イビサ島」においても、野外でかける曲には最適だった。この、ダンスをするためのみ
に作られた一群の曲と、それをまわすDJプレイで「イビサ島」は熱狂していた。その熱狂
に、ロンドンのDJたちは唖然としたのだ。

 この4人のロンドンのDJたちは早速、ロンドンでこの「イビサ島」での熱狂を再現する
イベントを開催する。噂による噂で、このイベントは瞬く間に大人気となり、その同じパ
ートが繰り返されるダンサブルな曲はアシッドハウスと呼ばれるようになる。これはダン
スの一大革命として爆発的な人気となった。1987〜88年の1年間にロンドンのクラブカル
チャーは 180°変わったとさえ言われている。マンチェスターやリバプールなどの郊外で
は70年代後半からウェアハウスパーティが開かれていて、ロンドンのこのムーブメントと
リンクして、その勢いはすさまじいものとなった。それを助長するように、エクスタシー
というドラッグが大量に出回り、トリップしたクラヴァーたちはアシッドハウスでひたす
ら踊り続けた。エクスタシーを摂取すると、アルコールやたばこは要らなくなる。体に悪
影響を及ぼす危険性があるからだ。そのかわり、エクスタシーを摂取すると喉が乾くこと
から、ミネラルウォーターやフルーツを置くクラブが急増していき、逆にアルコールを置
くクラブは減っていった。このエクスタシーを摂取するとどうなるか。自然や人間と親密
になったり、気分が良くなったり、話をしたくなったり、踊ることが楽しくなったりする
。逆に暴力的な行動や性的な欲求は抑えられ、LOVE&PIECEの心でいっぱいになる。エクス
タシーを摂取してアシッドハウスで踊るというスタイルのイベントは既存のクラブだけで
は納まらなくなり、そのうち、廃墟のビルや高速道路の下、もしくは郊外の山の中などで
の野外クラブ、いわゆるレイヴとして増大していった。この時、最も人気のあった曲がデ
リック・メイの「STRINGS OF LIFE 」だった。どのクラブやレイヴでも一晩に5回以上は
プレイされ、この曲がかかる回数の多いクラブやレイヴにクラヴァーやレイヴァーは群が
った。ハウスと多少違うこの音楽は“テクノ”と呼ばれ、デリック・メイがアメリカのデ
トロイト出身のアーティストであったことから、特に“デトロイトテクノ”と呼ばれるよ
うになり、以後、レイヴの“顔”となっていった。郊外で開かれる、そのテクノやアシッ
ドハウスのかかるレイヴには1万人以上のレイヴァーが集まるようになった。そのレイヴ
・ムーブメント、いつの間にか「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるようになる
。60年代末、ジミー・ヘンドリックスなどをリスペクトした、ベトナム戦争反対のための
野外大コンサート「ウッドストック」をその頂点とするサイケデリックなヒッピームーブ
メント「サマー・オブ・ラブ」になぞってそう呼ばれるようになった。エクスタシーでト
リップしたレイヴァーたちの心はLOVE&PIECEで満ちあふれていた。

 このレイヴァーたちの多くは労働者階級だった。第二次世界大戦後、経済復興のため、
イギリス政府は外国人労働者を大量に入国させた。レイヴァーたちの多くは、その時の外
国人労働者の2世、もしくは3世である。この時、最も多くイギリスにやってきたのは、
ジャマイカをはじめとするカリブ海諸島の国々からの労働者たちであった。1950年代まで
は景気もよく、彼らにとっても居心地のよい新天地であったが、60年代後半にもなると、
経済は低迷し始め、70年代、ついに労働者たちの職は次々と失われていく。その結果、80
年代になると、その労働者たちをはじめ、2世、3世までもが仕事につくことができず、
国から支給される手当てで生活せざるを得なくなる。80年代のイギリスはサッチャー政権
にみられるように、社会的成功と画一的なライフスタイルが気風であり、社会的な暗い部
分には光は当てられなかった。これはアメリカのレーガン大統領、日本の中曽根総理大臣
の政策と同じく、いわゆる“バブル”的なもので、後に大きな“しわ寄せ”がくる原因の
政策となる。しかし、マスコミもこぞって、このサッチャースタイルを支持した。そのよ
うな押し込められた生活の中で、夢をみることもできないカリブ生まれの黒人労働者を親
にもつ子どもたちは失望していた。そんな時、まるで彗星のように突然現れたムーブメン
ト、それがレイヴであり、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」だった。白人も、黒人も、
黄色人も、階級も全く関係のないこのムーブメントは、誰でも参加することができ、誰で
も自由に楽しめた。しかし、空き地や廃墟のビルなどを無許可で占拠し、エクスタシーが
出回るレイヴは、社会からの反発をかい、規模の増大とともに警察の取り締まりが厳しく
なり、レイヴァーたちは反発して衝突を繰り返していたが、次第にロンドン近郊での開催
は困難となっていき、レイヴの会場は郊外、北へと北上していった。

 イギリスは島国である。この島はブリテイン島と呼ばれる。ブリテイン島には約20万年
前(氷河期)から原住民族が住んでいた。彼らは“黒髪のケルト人”と呼ばれている。自
然に恵まれたブリテイン島に暮らしていた彼らは食料や地位や名誉のために争いをする習
慣がほとんどなかった。青銅器文化を持っていた彼らは世界七大遺跡の一つ、ストーンヘ
ンジなどの巨石文明を築いたと言われている。紀元前7世紀頃、当時、ヨーロッパ大陸に
勢力をもっていた“金髪のケルト人”は、新興勢力のローマ人に追われ、ブリテイン島に
たどり着いた。原住民族である“黒髪のケルト人”は争いをする習慣がほとんどなかった
ため、鉄器を携えた“金髪のケルト人”には大した抵抗もできずに侵略されてしまった。
その結果、“黒髪のケルト人”は北へ、スコットランド、アイルランド、ウェールズへ追
いやられることになる。以後のイギリスの歴史は侵略と制圧の繰り返しが続く。その後、
紀元前1世紀頃、ヨーロッパ大陸を制圧したローマ人は“金髪のケルト人”の抵抗虚しく
、ブリテイン島をも制圧する。そして410 年、ローマ帝国の衰退とともに、今度はヨーロ
ッパ大陸から「アングロ・サクソン人」が侵入し、“金髪のケルト人”やローマ人は殺戮
されるか、もしくは辺境地帯へと追いやられた。アングロ・サクソン人は10世紀後半に「
イングランド」を成立させた。その後、一般的にはヴァイキングで知られるデンマークに
住むデーン人の侵略を受け、そして、最終的にはノルマン人に武力で制圧された。イギリ
スは、アングロ・サクソン人、デーン人、ノルマン人の混血である人種が住むイングラン
ドと、“黒髪のケルト人”の子孫であるスコットランド、ウェールズ、そして北アイルラ
ンドの4つの国の集まりなのである。レイヴァーたちは、レイヴをやるため、もしくは参
加するため、ブリテイン島を北上し、ついにはスコットランドや北アイルランドまで来て
いた。そこで、イギリス政府(イングランド)から社会的な、経済的な差別を受けている
ブリテイン島の原住民“黒髪のケルト人”の子孫たち、そして、イギリス政府に反抗して
ジプシー生活を送っているニューエイジ・トラベラーズたちと出会い、彼らの文化を知る
ことになる。彼らの文化とは、ブリテイン島古来のシャーマニズム(自然崇拝)である。
ストーンヘンジをその聖地とする彼らは、「木にも、石にも、土にも、ベンチやペンにい
たるまで、この世の全てのものには生命がある。この世の全てのものが存在していて、は
じめて自分も存在している。よって、この世の全てに感謝しなければならない」というシ
ャーマニズムの考え方をもっている。泉や洞窟、山や森に感謝して生きてきた彼らは、そ
こに神々が住むと信じ、後にそれが妖精の存在として生き残ることになる。彼らは、キリ
スト教的文化に抵抗し続けてきた。実は、この歴史は、世界の歴史そのものであるといえ
る。例えば、日本は単一民族と教えられているが、全くそうではない。日本列島には古来
から縄文人と呼ばれる原住民族が住んでいた。そこに、主に朝鮮半島から渡来人と呼ばれ
る人たちが稲作文化とともにやってきた。彼らは弥生人と呼ばれることになる。日本列島
も自然に恵まれ、縄文人は食料には不自由せず、争いをする習慣がほとんどなかったため
、渡来人に侵略されてしまう。その侵略から逃れるため、南へ逃げた人たちが琉球人(沖
縄の人たち)となり、北へ逃げた人たちがアイヌ人となる。よって、今、日本人と呼ばれ
る人たちは、イギリスのイングランドの例と同じく、実は純粋な日本人ではないのである
。アメリカ大陸でも原住民であるネイティヴ・アメリカンがヨーロッパ人の侵略を受け、
オーストラリア大陸でも原住民であるアボリジニが同じような侵略にあっている。イギリ
ス、日本、アメリカ、オーストラリアの場合でも、共通しているのは、島国であり、いず
れもユーラシア大陸から来た人種に侵略されているという点である。ユーラシア大陸は広
い。全て地続きなため、食料を確保するために、自分の民族を守るために、常に外部の敵
と戦わねばならず、日常的に戦闘能力が身についてくる。自然に恵まれ、食料のために争
うことのほとんどなかった“黒髪のケルト人”や縄文人、ネイティヴ・アメリカンやアボ
リジニといった原住民族は、そんなユーラシア大陸の民族に勝てるわけがなかった。もう
一つ共通しているのが、前述したシャーマニズム的な考え方である。自然の恵みを大いに
受けていた原住民族は自然に感謝して生活していた。その自然との共生した生活が自然崇
拝(シャーマニズム的)な考えを生んだのである。カリブ生まれの労働者の2世、3世た
ちはレイヴでいっしょになった“黒髪のケルト人”の、このシャーマニズム的な考え方に
多大な影響を受けた。もともとは、アフリカ大陸から奴隷として連れて来られた彼らの祖
先たちもアフリカにいた頃は、自然と共生し、シャーマニズム的な観念をもっていたはず
である。“黒髪のケルト人”の子孫との出会いは、黒人としての彼らに、祖先たちの魂を
甦らせ、そして、それについて考えるきっかけを与えた。イギリスで生まれ、キリスト教
を信じるのが当たり前と思ってきた彼らにとって、それは大きなショックだったにちがい
ない。自然の中で生活をするレイヴは、彼らが古来のシャーマニズム的な、自然と共生す
る生活を体験し、それについて考え、語るには最適だった。ケルト人問題(いわゆる、北
アイルランド問題)はイギリス政府が最も問題としているもので、この問題と、かねてか
ら空き地などの不法占拠やエクスタシーなどのため警察の取り締まりが厳しくなっていた
レイヴ・ムーブメントの融合は、政府にとって大きな脅威となると判断され、ついに“ク
リミナル・ジャスティス・アクト”という法律ができることになる。この法律は集会、不
法居住、デモ、パーティなどを取り締まるいくつかの法律が組み合わさったもので、逮捕
された場合には黙秘権は認めないという条項も含まれている。“クリミナル・ジャスティ
ス・アクト”の中には「野外でレペティティブ・ビーツ(繰り返す音楽、いわゆるハウス
やテクノのこと)という特徴を持つ音楽を聴いている10人以上の団体を解散させる権利を
警察に与える」という条項も含まれていた。この“クリミナル・ジャスティス・アクト”
により、事実上、イギリス国内でのレイヴの開催は禁止となった。

 その後、警察に相当の報償金を渡してレイヴを開催する主催者が現れた。報償金の割合
が高いため、主催者はスポンサーをつけなければならなかった。エクスタシーによって、
レイヴ、クラブの場から撤退せざるを得なかったアルコール産業が巻き返しを謀るため、
スポンサーとなることが多かった。こうして、警察公認の大規模なレイヴは商業化し、本
来の姿とはかけ離れたものとなっていった。レイヴ・ムーブメントを支えた多くのレイヴ
ァーたちはこのような状況にうんざりし、次第に再びロンドンのクラブに戻ってくるよう
になった。レイヴ、エクスタシー、クリミナル・ジャスティス・アクト、そしてシャーマ
ニズムなどを体験した彼らは、それらについて考えるようになり、それを表現するために
音楽作りを始めるようになる。コンピュータを使って1人で簡単に曲を作れる時代になっ
ていた。レイヴ・ムーブメント後半、DJたちがかける曲はハウスやテクノのリズムを切り
刻んでビートを再構築していく実験的なブレイクビーツが主流となっていた。彼らは自宅
でエクスペリエンスなブレイクビーツを、テクノロジーを駆使して作りだし自分なりのシ
ャーマニズムを表現し始めた。

 その頃、ロンドンのレゲエのクラブシーンでは、33回転のレコードを45回転でかけるイ
ベントが開かれ、人気を博しており、回転数を早めたオリジナルのレコードが作られるよ
うになっていた。不思議なことに、この高速のレゲエと、レイヴを通過した実験的なブレ
イクビーツは酷似していた。もともと、ジャマイカなど、カリブの島々出身の親を持つ子
どもたちが作り出す音楽は、親の影響を受け、レゲエ色が強い、もしくはレゲエのリズム
でもっと踊りやすいかたちで表現された。この2つのジャンルは全く違うところから発生
したにもかかわらず、同じリズムであったことから“ジャングル”と呼ばれるようになる
。ロンドンにあった日曜の朝10時から始まるROAST というクラブでMC-5IVE-O がマイクで
「HARDCORE JUNGLE!! 」という言葉を使ったのが、その由来と言われている。UKアパッチ
の「ORIGINAL NUTTOH 」や、ジェネラル・リーヴィーの「INCREDIBLE」などの商業的ヒッ
トにより、ジャングルは一躍、ヒットチューンに躍り出た。しかし、ヒットしたのはいず
れも高速なレゲエ、いわゆるラガ系のジャングルであり、レイヴを通過したブレイクビー
ツではなかった。クオリティは重視されず、売れるためのみにつくられた、これら一連の
ラガ系ジャングルは1993〜94年の1年間でほぼ消費しつくされ、次第に影をひそめる結果
となる。その頃、地道に実験的なブレイクビーツを作り続けていた元レイヴァーたちはお
るるべきクオリティの高い曲を作っていた。それまではリズムが似ているというだけでジ
ャングルと呼ばれていた、一連のこのような曲は、ジャングルとはかけ離れたものとなっ
ていた。無駄を一切排除したドラムとベースのみを基本の音として構成され、オリジナル
のリズムを刻むその音楽は“ドラムンベース”と呼ばれるようになる。

 HEAVENというクラブで、レイヴでも有名なDJだったグルーヴライダーとファビオはRAGE
というドラムンベースのイベントを開催していた。このドラムンベースとしては草分け的
なイベントに唖然とした、元ストリートアーティストでニューヨークで活躍したゴールデ
ィーは、自ら曲を制作、95年「TIMELESS」というアルバムを発表。そのあまりにクオリテ
ィの高い作品は世界を唖然とさせた。アフリカはウガンダ出身のL.T.J.ブケムは1990年に
初めて「DEMON'S THEME 」というブレイクビーツ(おそらく、一番初めのドラムンベース
)を発表して以来、レイヴ・ムーブメントの経験を十分に活かし、その結果、「LOGICAL
PROGLESSION (論理的な進化)」という“旗”をかかげ、ドラムンベースは“LOGICAL PR
OGLESSION ”であるべきで、これに賛同する者がドラムンベースを理解する者となってい
った。ここに、「ドラムンベースは音楽の1ジャンルではない。“生き方”そのものだ」
という言葉が生まれてくる。
「レイヴによって、音楽で、ダンスで、エクスタシーで盛り上がることは経験したが、そ
の後、いったい何が残ったか。結局、何も残らなかったのではないか。もっと冷静な、論
理的な音楽の捉え方も必要なのではないか。クオリティの高い曲をつくって、シーンを育
てていくことが大事なのではないか。また、今まで、音楽というものは過去のものを模倣
することが多く、それがよしとされてきたが、もっと未来に向けた、進化し続けるオリジ
ナリティの高い曲をつくっていくことも重要ではないか。そして、何より、今の時代にシ
ャーマニズムを提唱することが義務なのではないか」。このような疑問を“ドラムンベー
ス”は投げかけているのである。

 世紀末の今、社会不安、エイズや各種ウィルスなどの疾病、環境破壊といった、暗い雰
囲気の漂うこの世の中でドラムンベースは唯一、明るい未来を表現しているようにみえる
。そのシャーマニズム的発想で表現しているドラムンベースは21世紀の真の在り方を教え
てくれる。石にも、水にも、ベンチにも、ペンにも命があり、それら全てに感謝するとい
うシャーマニズム的発想は実は今、最先端の科学で、その考え方がこの世界の真の法則で
あり、21世紀の思考であるといわれているからである。量子力学を基礎とした波動性科学
という最先端の科学がそれを提唱している。人間は約60億の細胞から成っている。1つの
細胞は数百億の分子で、その分子はまた数百億の原子から成っている。原子は原子核と電
子から成り、電子は原子核の周りを回転している。原子核はさらに粒子、クウォークなど
から成っており、それらは存在自体が“動”であり、エネルギーを発しており、そのエネ
ルギーが波動である。この世の中(3次元、4次元など次元を問わず)は、“虚質”が充
満しているといわれている。存在している波動は常に虚質を動かし、周りに影響を与える
。例えば、池の中に水が充満しているようなもので、そこに石を投げると波紋が拡がる。
投げられた石は小さくとも、波紋は限りなく大きく拡がる。人間や動物やペンが出す波動
も同じだというのだ。全てのものが同じ原子や粒子から構成されているのであれば、その
波動は全てに影響するわけだ。例えば、人間がムカッとした気持ちになると、粗い波動が
出て、それが周りのあらゆるものに影響する。そうすると、車やステレオなどが壊れたり
するのである。身に覚えがある人も多いだろう。逆に、やさしい、感謝する気持ちでいれ
ば、細かい波動が出て、その波動は全てのものに浸透し、そして動かし、自分の思った通
りになるのである。人間と同じく、動物、植物、石やテレビ、車など、この世のあらゆる
もの、水や空気でさえ、個々の波動を出して影響し合っているとすれば、人間に生命があ
る以上、ほかのあらゆるものにも生命があるということになる。これはまさにシャーマニ
ズム的発想と同じである。物質である肉体を越えた存在である“意識”でさえも、波動で
共鳴し合っており、肉体が滅んだ後の“意識”、いわゆる“霊”の存在も波動性科学では
確認できるという。シャーマニズムでは、死後も魂は生き続けるという観念があり、これ
も共通している。波動性科学では、これら一連の波動を機械を使い、数値で表すことがで
きるという。波動性科学によって立証されつつあるシャーマニズムの本質とは、「この世
の全てのものには生命があり、この世の全てのものが存在して、お互いに影響し共鳴し合
って、はじめて自分が存在している。よって、この世の全てのものに感謝しなければなら
ない」といえるだろう。“黒髪のケルト人”や縄文人、ネイティヴ・アメリカンやアボリ
ジニはこのような法則、自然との共生を当然のように知っていて、実践してきた。この観
念が、今、人類につきつけられている環境問題を解決する一つの手段だと考えられている
。シャーマニズムを体験し、未来へ向かうドラムンベースの方向性はまさにこの手段と合
致する。また、自然崇拝だけでなく、霊の存在さえも認めるシャーマニズムは祖先を非常
に尊ぶ。ドラムンベースは“黒髪のケルト人”とアフリカ大陸の祖先の心のリズムを今に
伝え、それはD.N.A.とともに未来へと向かっている。実際、ドラムンベースの曲名をみれ
ば、“霊”の存在を肯定していることが納得できる。オムニトリオの「HAUNTED SCIENCE
(心霊科学)」「SANCTUARY (聖域)」、ドック・スコットの「THE UNOFFICAL GHOST (
認められない亡霊)」、DJラップの「SPIRITUAL AURA(霊的オーラ)」などなど。今でも
、ドラムンベースはそのジャンルを細分化させ、進化・増殖を続けている。宇宙と自然を
表現するアートコア。この世の内面を表現したダークコア、喜びを表現するハードステッ
プ、近未来を表現するサイバー、そしてジャズステップなどなど。

 「イビサ島」から始まり、レイヴ、アシッドハウス、テクノ、エクスタシー、そしてシ
ャーマニズムと、この10年でイギリスの若者たちは多くの経験をしてきた。その多くの経
験が土台となり、はじめて“LOGICAL PROGLESSION ”という観念が土台となったドラムン
ベースが成立しているのである。ドラムンベースは単なる音楽の1ジャンルではない。多
くの経験を通して学んだ彼らの“生き方”そのものなのである。




 
パーク・アンド・ライドでスマートにスムーズに街へ
 
 “パーク・アンド・ライド”っていう言葉、きいたことありますか?
それはパークとライド、そうそのまんま、車を街の周辺に停めて(park)、
中心へは公共交通に乗り換えよう(ride)、という移動方法です。
街へ出かけるとき、自転車、車、公共交通、いろんな選択肢があります。
車って本当に便利。自由で快適。その一方で都市での車移動、
渋滞に巻き込まれてイライラするし、その間も車は温室効果をもつCO2や、
酸性雨の原因にもなるNOx,SOxを含む排気ガスの排出をするし。
良心をいためつつそれでも車を選ぶ人、少なくないのでは。
“パーク・アンド・ライド”は車だけに依存しない、路面電車、バスといった
公共交通網を最大限に活かした、人にも環境にもやさしい移動方法。
“パーク・アンド・ライド”を利用した、自分だけでなくみんなに快適、
そんな車の乗り方を実現している街があるのです。

フライブルク市の取り組み紹介
 
 環境首都として名高いフライブルク。ドイツ南西部に位置し、ワインの名産地、
「黒い森」の入口として、多くの観光客を魅了すると同時に、人口20万人のうち
1割以上を学生が占める大学都市でもあります。
近郊で自家用車を駐車して路面電車に乗って通勤通学、街への買い物、休日には
バスに乗り換えて家族で「黒い森」へ…。それがフライブルグの日常です。この街に
暮らしはじめてすぐ、それが余りにも日常で、しかも便利でお得で、気が付いたら
公共交通での移動が当たり前、という生活が始まっていました。
 旧市街地に自家用車は全く見当たらない。だから散歩するにもショッピングするにも
とっても歩きやすく買い物客、観光客、人が集まる。かわりに石畳を気持ち良さそうに
走りぬけていく自転車、おしゃべりしながら、りんごをほお張りながら、歩いている学生や
サラリーマン、オープンカフェでケーキや時にはビールを昼間っから注文するおばあちゃん。
ただただ街にゆとりがあるのです。

 車と公共交通を賢く使い分ける、そこに人口20万人の歩きやすい都市の秘密があります。
そしてそれを支える、レギオカルテ:地域環境定期券。とにかくお得で便利なんです。
1ヶ月たった64マルク(5000円)でなんとフライブルク市、隣接する2郡内の公共交通
計90路線全てに乗り放題。しかも一度買ったらもう手放せない機能性を持っているのです。
通勤通学、買い物に公共交通を使うのは、ここではごくごく当たり前のこと。 さらに休日、
行楽地へも公共交通で、がこの定期では便利なのです。まず、休日には全エリアを
家族チケットとして使うことが出来る。みんなで使えるのだから電車で隣り郡の湖へ、
森に散策へ、となる。家族でのんびりの休日。そして私が驚いたのはなんと片道10マルク
(770円)前後でフランス,、スイスへ行けてしまう交通手段があるってこと。この定期を使うと
さらにお得になり、利用させてもらいました、私も。ツアーではまず行かないような国境の町
コルマーへ。初のフランスです。EUになってから国境なんてないも同然で、バスの中では
「まだドイツ?」「もうフランスだよ」という状況でしたが、着くと何となく匂いが違う。
言葉、文化、通貨、そして売っているパンが違ったかな…。人にもお財布にも優しい、だから
自然に公共交通利用者になってしまう。この定期は月末に一斉に有効期限が切れるので、
券を発行する中心街のスタンドの行列は毎月初めの恒例。フライブルクでの生活に欠かせ
ないものです。この定期を始めて購入したとき、フライブルク市民の仲間入り、と感じたように、
引っ越しが決まって定期を買う必要が無くなったときは何となく寂しい気がしました。
 
フライブルクでは、より多くの人が“パーク・アンド・ライド”しやすいように、 
こんな工夫がされています。  
 
* 公共交通網の拡張、整備―もっと便利に実用的に。 
 
フライブルクではもっともっと公共交通を便利な移動手段にするため、 
路線は更に拡張されつつあります。 バスとの連携も良。路面電車の 
各終点・始発駅にはバスへの乗り継ぎが用意されていて、電車の 
通らない更に郊外へ、更に住宅街へと、交通網が張り巡らされています。 
 
* 駐車場の整備 
 
公共交通網の届かない場所からの車利用者が、公共交通に乗り換え 
やすいように、路面電車の終点・始発駅、主要な乗り継ぎの拠点駅には、 
広々とした駐車場が備えられています。しかも一日中利用しても無料。 

 
* お得な地域環境定期券、レギオカルテ  
 
大人1枚64マルク(約5000円)で1ヶ月間、公共交通機関は全て乗り放題! 
市内、隣接する2郡内のドイツ鉄道(近郊の街をつなぐ。日本のJRに類似) 
やバス、路面電車など90路線に利用でき機能性抜群。 日曜・祭日には 
1枚で大人2人と子ども4人までが乗り放題そのうえ、この定期券は無記名式で 
貸し借りも可(学生、26歳以下は貸すことはできないが、学割がある。)という 
至れり尽くせりの定期。“パーク・アンド・ライド”促進の最大功労者といえるでしょう。 
 
* 企業などの組織の工夫 
 
環境考慮型の通勤方法を促す企業も増えてきています。自動車通勤者は 
職場の駐車場使用料を払わなければならない一方で、公共交通機関利用者や 
自転車、徒歩通勤者には補助金まで出る、といった財政的な仕組みや、 
そうした通勤方法のイメージアップなどでの啓蒙も進行中。 
 
* 車の市街地への乗り入れ制限、旧市街への侵入禁止 
 
“パーク・アンド・ライド”推進のそもそもの要因が、排気ガスによる大気汚染、 
騒音、過剰な車利用から市街地を解放すること。ただ我慢してもらう、制限する 
だけでなく、車から自然に公共交通や自転車に切り替えるように多様な工夫が 
されています。 
・ 自転車道の整備:車に代わって市民権を得たのが自転車。都市内や 
近郊への自転車利用促進のため、公共交通網と並んで、自転車専用道路の 
整備が進んでいます。かつて駐車場であった場所の多くが、今は駐輪場として 
機能しているようです。 
・ 住宅街の最高時速30キロ制限:これによって騒音、排気ガスが減って快適な 
居住環境が戻り、自然環境、歴史的建造物への悪影響も押さえられるように 
なりました。と同時に、事故も激減し、街に安全をもたらしています。 
 
車から解放され、街に戻ったのがゆとりと活気です。電車や歩行者、自転車が
行き交う通りにはひとの営みがあふれ、まちはとっても元気です。
 
どのようにしてフライブルクは変わったのでしょうか?
 
1970年代、世の中を成長思考が占める一方で、世界各地で様々な弊害が現れだした頃、
フライブルクでもその見直しを迫られる事態が生じていました。おりしも近郊のワインの
名産地で興った、原子力発電所建設計画が市民の環境問題に対する意識に火をつけました。
反原発運動は、その問題だけに限らない高い環境意識を持った市民活動に発展。
省エネへの転換、交通システムの見直し、ゴミ削減への努力…。それは今も理念をもった、
生活者としての取り組みを支えているのです。私達のそばでもこうした問題は存在します。
この街は変わったのではなく、一人一人が出来ることから始めて、変えていったのです。
そうした環境意識を基盤に、行政だけでなく市民、様々な民間の団体が協力しあい、
一緒に街を変えていったといえるでしょう。“パーク・アンド・ライド”という交通対策。
それは環境にやさしい行動への、始めの一歩を踏み出す、きっかけにすぎません。
よい仕組みだからといってそのまんま真似をしてもしょうがない。吸収しつつ今あるものを
最大限活かして、地域にあった“パーク・アンド・ライド”、公共交通への乗り換え、
始めてみませんか?

日本でも始まっている!
 
鎌倉市:観光都市、古都鎌倉では、日常的な交通量過多に加え、休日、行楽シーズンには
多くの観光客が車で訪れ、交通混雑や大気汚染による問題が生じている。こうした状況への
対応として、地域の代表、行政、企業、市民、事業者、学識経験者などから成る研究会が
設置され、既存の公共交通、江ノ電やバスを活用した交通改善計画が進められている。
鎌倉版 “パーク&レールライド”実験が、既に実施されている。
 
熊本市:1924年から市内を走る路面電車に、昨年からドイツで設計された超低床の
新型市電車両を導入した熊本市。都市問題としての中心市街地の活性化、環境問題とともに、
福祉対策も視野に入れている。
96年2月には「パーク・アンド・ライド」実験が行われた。

参考文献:「ドイツを変えた10人の環境パイオニア」 今泉みね子 著  白水社
           「環境首都フライブルク」 資源リサイクル推進協議会 編  中央法規
         「日経ECO21−日経トレンディ4月号別冊」 日経ホーム出版社
           「環境コミュニケーション入門」 日本エコライフセンター・電通EYE 編
                                               日本経済出版社
     「グローバルネット1997/2 75号」(財)地球・人間環境フォーラム